数年前に佐々木石材工業で墓マイラー講演をしていただいた思い出のお話を書きました。
写真は石を山から取り出す際の丁場見学のときのです。
前回のブログでも書きましたが、私もカジポンさんから
影響を受けた一人なのです。
カジポンさんが『偉人は教科書などには載ってはいるが、雲の上の存在、どこか実在していないようにしか捉えてなかったが
お墓があって、そのお墓の下には骨が埋まっていると思うと、偉人が実際に私達と同じようにその時代を一生懸命生きてを偉業を成し遂げたということを確かなものとして感じることができる。さらにその場で石に触れることにより直接感謝の気持ちを伝えることができる』
まさにそのとおりだなと感じました。
私は墓石屋ですから、置き換えると
『ご先祖様って顔も見たことないし、なんとなくいたんだなと思うくらいで、どこか実在していないような存在だったが、お墓には実際に生きていた証、お骨が眠っていると思うと、私達よりも過酷な環境で、風邪引いただけで死んじゃうような医療の時代に子供を生み育ててくれたおかげで今の私達がいるということを感じさせてくれます。』
なので私にとってお墓参りはご先祖様のためも勿論ありますが、私の子供、子孫の道徳的教育のためでもあります。
お天道さまがみている=ご先祖様がみている
最近のニュースに出てくる犯罪者を見ると絶対お墓参りしていないなと、はっきり感じ取れます。
カジポンさんの感性が私のご先祖様へのお参りをする際の感性を明確化していただきました。